6 months ago
9 months ago
この1月から『SENSE』誌上で始まったこの連載、なんと今回で突然の最終回です! 小沢仁志さんから始まって、イースタンユースや玉袋筋太郎さんもモデルになってくれて、作っていてすごく楽しかったこの企画。ほんとは1年間続くはずだったんですが、打ち切りの理由は・・・そう、広告主さまからのクレームなんですねぇ。またかよ!(笑)
実名を挙げちゃうと、編集部が嫌がらせされそうなので言いませんが、複数の某有名ブランドの方々が、「広告出してやるけど、ああいうページはうちの商品にふさわしくないから」と、打ち切りを要求してきたそう。『SENSE』を出している出版社は、これ1誌しかやってない小さな会社なので、そりゃそんなこと言われたら、従わざるを得ないですよね。
しかしハイファッションのやつらっていうのは、自分たちがストリートからデザインを頂戴してるくせして、なんとかストリートとは一線を画したレベルに自分たちを置こうとする。イヤですねえ。南魚沼郡のはずれで、周囲の冷たい目を「批判を褒め言葉だと思ってますから」と意に介さず、信じるオトコ道をひた走る『BIRTH JAPAN』を見習ってほしいものです。
そういえば、ずいぶん前に『着倒れ方丈記』という連載を、いまはなき『流行通信』で連載していたときも(それはのちに『HAPPY VICTIMS』という写真集になりました)、ずいぶんたくさんのブランドから、抗議やお叱りをいただきました。
見てくれたひとはおわかりでしょう。それはそのブランドが好きで好きでたまらないひとたちが、コツコツ買い集めたコレクションを見せてもらおうという企画だったのですが、取り上げたブランドからは「そんなの聞いてない」だの「承認してない」だの、「自分たちのブランドイメージにそぐわない」だの、お客さんに対してものすごく失礼な言いぐさを、しょっちゅう編集部にぶつけてきたものです。あるときは書面で抗議が来たり、「訴えるから」とまで言われたこともありますが、そういうブランドの、ヨーロッパにいるデザイナーがたまたま来日して、たまたま記事を見たりすると、たいていはすごく気に入ってくれるわけです。そうすると、いきなり態度一変。「こんどオープンする東京の旗艦店の写真を撮っていただきたいと、○○○(デザイナーの名前)が申しております」なんて依頼が来たりして。あまりに見事な手のひら返しに笑っちゃったことを思い出しました。かっこいいことって、なんてかっこわるいんでしょう、ほんとに。
『ROADSIDE FASHION』は、いま完全に停滞しきってると思われるハイファッションの世界に対する、僕なりの刺激剤というか提案だと思っているので、いずれどこか別の場所で再開したいと考えています。あまり時間をおかないうちになんとか復活させますので、しばらくお待ちください!
via konishiroku
1 year ago
2 years ago
糸井
ぼく、前に、
「100円を捨ててきなさい」
という授業を、やったことがあるんです。
その授業というのは、
俺の職業になりたい人が集まってきているから、
少し乱暴をしてもいいんです。
だから、さっき言った小学生とは
違うことができるんだけど。
「今からみんな、100円を持って外に出て、
捨ててきて戻ってきて、その感想を述べてね」
と言ったんです。
松本
おもしろいですね。
糸井
うん。
「お金」というものが生む「約束」を
いかに壊してしまうかという瞬間だからね。
で、授業に参加していた子たちでも、
女の子は、みんな快感を感じたんです。
感想を言わせても、基本的には、
「すっごい気持ちよかったです!!」って、
たった100円なのに、イッた目をしてるんですよ。
まあ、もちろんおばさん型の人はいて、
「私にはそんなこと、できませんでした」
という感想だって、あるはあったけど。
それに比べたら男は理屈っぽくて、
「歩道橋の上からトラックの荷台に
100円を落としたんだけども、
あれが旅にゆくと思うとおもしろかった」
「公衆電話ボックスのお金の戻り口に
入れておいたから、誰かが使うんじゃないか」
とか何とか言っている。
ブラックホールに向けて
ものを投げることが、できないんです。
もっとセンスのないひどい奴は、
自動販売機で要らない飲み物を買って、
それを飲んだとか言っていて・・・・
それを「捨てたとおんなじ」だとか。
松本
ダメですね~。
糸井
それ、答案として最悪ですよね?
松本
そうですよね。
via konishiroku
2 years ago
6歳のとき
「きよしこの夜」を歌いながらいつも泣くから
わたしはその先生が好きなんだとわかった
7歳のとき
飼ってる犬もわたしと同じでブロッコリーが嫌いなんだとわかった
9歳のとき
田舎の人は 手を振ると
仕事の手を止めても 手を振り返してくれるんだとわかった
12歳のとき
お部屋を便利なように整えると
ママはもう一度片付けろと言うことがわかった
14歳のとき
元気になりたいと思ったら
誰かを元気付ければいいとわかった
15歳のとき
認めるのは嫌なんだけど
パパとママが厳しいのはいいことなんだとわかった
24歳のとき
アドバイスの言葉よりも
何も言わずにそばにいてくれる友達の方が
心を癒してくれるとわかった
26歳のとき
わが子の髪をとかしてあげることは
ほんとうに幸せなことなんだとわかった
29歳のとき
わたしが行くところにはいつも
この世で一番運転の下手な人がついてくるんだとわかった
39歳のとき
誰かがわたしの悪口を言ったら
自分は 誰もそれを信じないような
生き方をすればいいんだとわかった
42歳のとき
本当は自分をとても大切に思ってくれているんだけど
その示し方がわからないだけという人がいることを知った
44歳のとき
ちょっとした手紙を送るだけで
誰かの一日をいい一日にできるんだとわかった
46歳のとき
自己嫌悪の強い人は
他の人を責める気持ちも強いとわかった
47歳のとき
おじいちゃんおばあちゃんと孫たちは
自然とチームを組むものなんだとわかった
48歳のとき
今日 何があろうと どんな悪いことが起ころうと
人生は続いていくし 明日はいいことがあるんだとわかった
49歳のとき
聖歌の「アメイジング・グレイス」を歌うと
とても元気になることがわかった
50歳のとき
ホテルのベッドのマットレスは
電話の傍じゃない方が寝心地がいいとわかった
52歳のとき
この3つのことをどう処理するかで
男の人はだいたいわかると知った
雨の日
なくし物
こんがらがったクリスマスツリーのライト
52歳のとき
自分で野菜畑を作るのは
いっぱい詰まった薬箱と同じ価値があるとわかった
55歳のとき
親とどういう関係にあろうが
親が死んだら本当に悲しいものだということがわかった
58歳のとき
「生きること」と「暮らしていくこと」は
違うんだとわかった
61歳のとき
子供に良くしてやろうと思ったら
まず自分の夫婦関係を良くしなければいけないとわかった
62歳のとき
人生には二度目のチャンスが与えられているとわかった
64歳のとき
両手にキャッチャーミットを持ってたらいけない、
何かを投げ返せるようにならなくてはいけないとわかった
65歳のとき
幸せそのものを追い求めればそれは逃げていくけど
家族と、他の人の必要と、新しい出会いと、
ベストを尽くすことを心がければ
幸せが自分を見つけてくれるんだとわかった
66歳のとき
優しい心で何かをする時
それはたいてい正しいことだとわかった
72歳のとき
誰にでも祈ることが必要だとわかった
75歳のとき
奇跡を信じる者は報われるとわかった
実は わたしもいくつか奇跡を目撃したので
82歳のとき
苦しみがあっても
誰かの苦しみの種になる必要はないとわかった
85歳のとき
毎日誰かと触れ合うことが必要だとわかった
握手でも、抱擁でも、軽く背中をなでてやることでもいい
人は人のぬくもりが必要なのだと
92歳のとき
まだまだ学ぶべきことがたくさんあるということがわかった
via konishiroku
2 years ago








